ずるい。ずるい。

…十八は、ずるい。





昔からいつだって、褒められるのは兄で、怒られるのは自分。
兄はとても出来る人間だ。勉強は出来るし、真面目だから他人からの信頼も厚い。
欠点らしき欠点といえば生まれつき身体が弱いことぐらいだろうか。しかしそれも彼への庇護をより一層強めるだけでしかない。
お兄ちゃんは身体が弱いんだから。お兄ちゃんが病気だから。
幾度聞いただろう。これからあと幾度聞けばいいのだろう。最早それは己にとって呪詛のようなものだった。

どうして双子に生まれたのか。何故一人の人間として産んでくれなかったのか。何度も何度も何度も、母を恨んだ。呪った。
一人の人間だったなら。自分という存在がいなければ。きっと兄は健康な身体で自由に生き、そして誰からも愛されただろう。
自分も、こんなに、暗く冷たい泥沼に身を浸して生きることなどなかったのだ。


兄のことは、多分、好きなのだと、思う。
嬉しいとき、悲しいとき。いつだって彼は自分の傍にいてくれた。嬉しさを分け与え、悲しみは背負ってくれた。
だから、だからこそ、辛い。
こんなにドロドロした感情を抱えた自分に笑顔で接してくれる兄を見るのが、辛い。
辛い。辛い。消えてしまいたい。自分さえ。自分さえいなければ。自分さえ…


『叶えてやろうかァ?』


脳内に直接響き渡るような声に、思わず我に返る。
気付けば玄関ホールの肖像画の前だった。そうだ、十八の話題で盛り上がる従兄弟たちの輪からこっそり抜け出して…いつのまにここまで来たのか。
妖艶に微笑む、魔女の肖像画。それを一瞥して、踵を返そうと振り向いたその瞬間。
「………え、………あ……、」
にやにやとおよそ淑女らしからぬ笑みを乗せて、自分の顔を覗き込む魔女が”い”た。
「なぁにを面食らった顔してんだよぉ。折角妾直々にそなたの願いを叶えにきてやったというに。」
「願い、」
混乱した頭で、その単語だけを拾った。願い。消えてしまいたい。自分さえいなければ。
何も言えず魔女の顔を見るしか出来ない自分に、けれど魔女は満足気に笑みを深くした。
「兄のいない世界で生きたいんだよな?いいぜぇえ連れてってやってもさァ。……ただし一つだけ条件がある。」
頬に手が伸ばされる。酷く冷たい。まるで、まるで死人のようだとぼんやり思う。
「これから十八の奴が来るぞ。お前を探しに。そしたらその手を振り払ってみせろ。そなたの最初で最後の居場所をそなた自身の手で否定してみせろ。
 そうしたら連れてってやるよ。十八のいない世界をてめぇにくれてやるよくひゃはっははっはっはははははぁ!!」
耳障りなことこの上ない笑い声を残して、魔女が消える。幻想。妄想。白昼夢。そう切り捨てるにはあまりにも、触れられた頬が、冷たい。
確かめるように頬に手を伸ばしたその瞬間、背後から控えめな声がかかる。
「戦人?」
振り向くと、兄が杖をついてこちらへ歩み寄るのが見えた。少し息が上がっている。足が悪いのに一人でここまで来たのか。
「………十八、」
「探しましたよ戦人。黙っていなくなってるから吃驚しましたよ。さぁ、戻りましょう?」
十八が尚も歩を進めながら手を差し出す。魔女の先程の言葉がぐるぐると脳内を巡る。
兄の安心したような笑顔と、自分の腹の中のドス黒い願望と、魔女の言葉がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられて、…掻き混ぜられて、


ぱしり、と乾いた音がホールに響く。小さい音なのに何故だか屋敷中に響き渡りそうな気がして酷く恐ろしい。
それでようやっと、自分が何をしたか気付く。自分が、何を、否定してしまったのかを。
「…………あ、…ぁ、あ、……あ………!!」
「戦人、」
続く言葉を聞きたくなくて一目散に駆け出す。ホールを出て、薔薇庭園を駆け抜けて、それから、それから、何処へ?
何処へも行けるわけがない。彼のことを拒絶した自分に、居場所なぞありはしない。この世界の、どこにも。

(大好きで、だからこそ傍にいるのが眩しくて、眩しくて。)
(自分が酷く穢れた存在に思えて、それをあなたのせいにして。そんなことを考える自分が、耐え難い。)
(…さようなら。)
(大好きで、大好きで、大好きで、…大好きでした。)



遠くで自分を呼ぶ兄の声が、魔女の哄笑に紛れて消えた。





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あとがき。

敗因:はとさんの辞書にはヤンデレルートしかなかった

(2011.01.22)





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