つまり彼は、どこまで行っても逃げられない。





部屋に入ると虚ろな目と視線が合った。泥沼のようだと思う。
似ていない双子だなと常々感じてはいたがこういう目をしっかりしているとそっくりだ。
「こんにちわ、戦人さん。…お久しぶりです。」
「………。」
ありったけの笑顔を乗せた挨拶にけれど戦人は無言のまま。椅子に拘束された戦人はちらりとヱリカを見て、微かに落胆したように視線を落とした。
婚約者である彼がどこの馬の骨とも知れぬ女と消えて1週間。金をぶち撒けての捜索の末に彼が連れ戻されたと報告が入ったのは昨晩のことだ。
「しかし十八さんも容赦ないですね、こんな鎖で縛っちゃって。痕が残ったらどうしてくれるんでしょうね。」
そろりとヱリカの細い指が鈍く銀に光る鎖を辿る。手首から腕へ。腕から肩へ、肩から首筋へ。首筋から口元へ。
「無駄なことしないなら、これは外してあげてもいいですよ?」
これ、とヱリカが口枷を指す。彼の声を封じる白い布。後頭部の結び目に手をかけて彼の反応を伺う。
床の一点を見つめたまま動かない戦人を見て結び目を緩める。途端口が不自然に動いたのを見止めて即座に親指を口の中に突っ込んだ。
ざりりと彼の歯が皮膚を破る。鋭い痛みにヱリカはけれど口の端を吊り上げた。
「舌なんか噛んだって死ねるわけないじゃないですか。お馬鹿さん。」
「…ッ、」
ぎょろりと戦人の黒の瞳が動く。見上げてくるそのぎらついた目がたまらなく好きだ。やはり彼はこうでないと。
指を引き抜く。血と唾液で塗れたそれを挑発するように舐ると戦人は壮絶に顔を歪めた。
唾でも吐きかけてきそうな勢いだったのでとりあえず頬を打っておいた。だって躾って大事じゃない。
十八が甘やかすからいけないのだ。悪い事は悪いときっちりさせないと。
「はぁ。ね〜ぇ、戦人さぁん。分かってますぅ?私も十八さんもすっごい怒ってるんです傷ついてるんです。」
「…知るかよ。……俺は、ただ、」
「ただ?何です?私たちを捨てて自分たちだけ幸せになりたかったって?」
「違、」
否定の言葉に、即座にまた頬を打った。ぴしゃりと鋭い音が薄暗い部屋に響く。
打たれるがままに晒された頬がじんわりと赤く染まっていて美味しそうだ。べろりと舌を這わせると上擦った悲鳴が戦人の喉元から漏れた。

「まぁそんな事はどうでもいいんですよ。戦人さん。…気になるンでしょう?…”アイツ”のこと。」
弾かれたように顔を上げた戦人に、ヱリカの口がにんまりと弧月を描く。
戦人は分かっているはずだ。こういう表情をする時のヱリカがどんな最低な仕打ちを仕出かすか。
血の気の引いた戦人の額から頬へ手を滑らせてヱリカは優しく優しく語りかけた。
「私達もそこまで鬼じゃありませんから。戦人さんが可愛くお強請りしてくれたらあのゲロカスのことは無かったことにしてあげます。
 もう金輪際関わらないって。約束できるなら、考えてあげますよ?」
途端くしゃりと泣きそうに歪んだその表情が愛おしい。笑みを深くして彼の言葉を待つ。
急かさない。言葉はいらない。だって彼は言うもの。言ってくれるもの。私の愛する未来の旦那様はそういう人だもの。
「俺は…どうなっても、いいから。なんでもする。だから…だからあいつは。…あいつだけは。………助けて、くれ………。」
絞り出すような声で紡がれた言葉にヱリカが満足そうに哄笑した。
耳障りなそれに戦人はぎりりと歯を食いしばり、脳裏の面影を噛み締めるように目を閉じた。
「うっふふふふふ!よく言えました。くすくす、そぉんなえらい子の戦人さんにひとつ、ごほうびをあげますね。」
ヱリカがポケットから取り出し床に落としたそれに戦人の目が見開かれる。小さな、指輪。控えめなダイヤの付いた、可愛らしい指輪。
本来ならば銀色の光を放っているはずのそれが。


それが何故、赤黒い色に染まっているのか。


「……ぁ、あ、あぁあ、っ、っ、ぅあぁあああぁああぁあぁああぁあッ!!」
かたかたと頼りなく震える戦人の身体をヱリカがそっと抱き締める。
瞬きの仕方すら忘れてしまったかのようにただただその指輪を見てぼろぼろと涙を流す。悲痛な絶叫すら心地良い。
さぁ私を見て戦人さん。


あなたを拐かす魔女は、もうどこにも”い”ないのだから。




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あとがき。

あれ、十八さんは?

(2011.09.09)





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