それなら、さぁ、目隠し取って聞いてごらん?





どこまでも果てしなく広がる暗闇。そこは、耳が痛くなるくらいの静寂で満たされていた。
自分自身の声すらも忘却の彼方に追いやりそうな、長い時間。彼は、ずっと、ここにいる。

ふと。何かが耳を掠めたような気がした。静かすぎて、耳か正気のどちらかがふれたか。
そう思って特に気に留めなかったが、そう間を置かずして再び聞こえてきた声に、彼の意識が今度はしっかりと反応する。
久しく呼ばれていなかった彼自身の名前を、存在ごと揺り動かされるようにして呼ばれる。
強い地震のように、腹の底まで響いてくるような振動。惹かれるようにして声のほうを振り向こうとしたところで、背後から肩を強く掴まれた。
「答えて、どうする?」
「………、覇、王。」
凍りつきそうな、低い声。支配者の声に、身体が一瞬で動くことを放棄する。
中途半端に首を捻りかけたこの体勢では、覇王の影になって呼びかける人物の正体は、見えない。

―――けれど、…まだ、呼ばれている。

誰だっただろう。確かに、この声を知っていた筈なのだけれど。思い出せない。思い出せない。…思い、出せない。
ざぁざぁと、テレビの画面いっぱいに走るノイズのように。本当はそこに映るべき人物の顔が、名前が、見えない聞こえない分からない。
「俺の力ではない。…お前自身がいらないと判断し、棄てた記憶だ。何故それを今更拾おうとする?」
「…俺、が。………棄てた…?自分、で・・・?」
男は、棄てたという。けれどどんなに思い起こしても、そんな事をした覚えは無い。
否、それに限らず記憶が不自然に欠けている。だって、記憶の中にこの男しかいないなんて、そんな、そんなことが。
空白と欠落に思わず喘いだ彼の肩を、一層強く覇王の手が掴む。
「思い出したいか?」
覇王の淡白な声にほんの少し、面白がるような響きが混じるのを、彼は見逃さなかった。
けれどその強烈な誘惑に抗う術を、彼は持たない。
「…振り返れば…思い出せる、のか?」
おずおずと問えば、短く肯定の言葉が返ってくる。
「それと同時にお前は絶望する。思い出さなければよかった、と。」
肯定の言葉に振り返ろうとしたが、次いで紡がれた言葉に、彼の動きは再び凍りついた。
「お前を呼ぶ声はまだ聞こえるか?…かつてお前は、もっと多くの声に呼ばれ続け、求められ続け、そしてそれに応え続けた。」
覇王の声は、低く響く弦楽器の音に似ていた。静かに、静かに、けれどその音は確かな質量を持って響き渡る。
「それに疲れたと泣きついてきたのはお前だろう?どうやっても応えられない声に対して匙を投げたのは、お前だろう?」
少し身を屈めて、彼の耳元で覇王が囁く。少し歪んだ口元は、無表情が常の覇王にしては珍しい。
暗闇に光る金の瞳は、獲物を見定める猫のよう。
「それを思い出して壊れるのもまた一興。…俺は止めはしない。お前が決めればいい…十代。」
久しぶりに、本当に久しぶりに呼ばれた彼自身の名に、十代の身体が知らず震える。
彼が思い出せずとも、その身体は、魂は彼が背負った罪を覚えているのだから。
―――だから、彼はもう動けない。彼を呼ぶ声が聞こえても、たとえその声がどんなに真摯な響きをもっていても。
彼はもう、振り返れない。その声に、問うことすらできない。





うしろのしょうめん、だぁれ?





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あとがき。

霞月さまからのリクエスト
、十代を独占したいがためにジムの呼びかけを邪魔する覇王、というお話でした。
なのにジムが名前すら出てきてないよ!ごめんジム!だって難しいんだよジム!
割とうちのサイト的には王道な覇十な感じになった気がします。書いてて楽しかったとか言ったらユベたんに殴られそう。
(十代の嫁的な意味で)
霞月さま、素敵なリクエストをありがとうございました〜!

(2010.02.23)





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